八ッ場ダム
コロナ禍の移動制限が解除されたので、県境を越え群馬県の八ッ場ダムに行ってきました。
満水になったダム湖は穏やかな様子で、八ッ場ダムのこれまでの困難な道のりを忘れてしまいそうでした。ダムの中のエレベーターで下流側へ降りてダム見上げると、ダム天端にいる人が米粒のように小さく、いかに巨大な人工構造物かがわかります。ダムの下流には景勝地の吾妻峡が少しだけなんとか残されました。
我が家からは比較的近く2020年3月31日に完成していたのですが、コロナ禍で見学に行けませんでした。私が生まれる前の1952年(昭和27年)の計画発表から完成まで、実に68年。吾妻峡や川原湯温泉街を湖底に沈めてようやく完成です。地元住民の方々は、長い反対運動から受け入れまで人生の大半をこのダムに翻弄されました。本体工事が始まろうとしていたやさき、政権交代の民主党の突然の建設中止宣言、そして中止の撤回と最後まで紆余曲折が続きました。
キャスリーン台風による利根川の大氾濫から計画が始まり治水・利水を目的に進められてきましたが、今では首都圏は水余り。日本の高度成長期は終わり、ほんとに現在必要なものなのか?
青函トンネルと同じように巨大インフラ開発は完成までに数十年から半世紀という時間がかかり、その間に国の経済や様々な状況が変わってしまい、当初の目的を果たせない?。
東京の日本橋も上に架かる首都高を撤去し地下にしようとしている時代、アメリカでは古いダムの撤去が始まっている時代、トンネルや橋梁等の土木構造物や水道管のメンテナンスがにわかに問題になり始めた時代にようやく完成した八ッ場ダムです。
八ッ場ダムの上流には有名な草津温泉や活火山の草津白根山ががあります。また、過去に硫黄の鉱山開発もあり、その一帯から流れ出る河川水は、コンクリートや鉄筋を溶かすほどの強酸性で、ダム建設でも問題となりました。そのため草津温泉の下流に強酸性水中和工場があり、中和のため1日60トン?ともいわれる石灰を溶かして河川に投入しているそうです。
これから我々の次の世代に、このダムはどうなっていくのか。穏やかな湖面を眺めながら、色々考えさせられた八ッ場ダムでした。