東北被災地ツアー No.1
私の所属する、JIA日本建築家協会長野県クラブ の仲間と、東北の震災被災地の復興建築をJIA宮城地域会の案内で見学してきました。震災後6年が過ぎ、復興公営住宅やまちづくりもかなり進み津波の爪あとも消えつつあります。しかし、この何も無い広大な原野は街が消えた跡だと聞かされると、なんとも重い心持ちになります。
上記の写真は、仙台湾南部海岸に新しくできた防潮堤。名取市、岩沼市、仙台空港を含め一面津波に飲み込まれた地域です。町並みも、田圃も、松林も無くなり一面の荒野でした。震災前は美しい海岸林と昔からの集落があったそうですが、今はまったくの荒野。遠くに被災を免れた松林が見えます。
この防潮堤は、中クラスの津波や高潮は防御するが大津波は完全に防ぐことはできないので、粘り強く耐えて破壊されない構造としてそのエネルギーを減少させる、減災を目指したものです。ですから高さも海面から7メートルぐらいでそれほど高くはないのですが、内陸からは海の姿はまったく見えず、海と陸が分断されています。やむをえないものでしょうが、海岸線をまったく感じられないのもいかがなものか?難しいものがあります。
科学文明の力によって周りの自然環境と隔絶し、現代の生活環境を護ろうとするのは、宇宙船のようにカプセル化してゆく現代住宅と似たところがあります。これが正しい方向なのかどうか?
次の写真は、岩沼市の災害復興公営住宅。
戸建ての住宅団地です。一般の単純に区画割された住宅団地とは違い、住戸間に「緑道」とよばっれるスロープ付きのバリアフリー動線を設けています。ここから住戸のテラスにフラットにアクセスでき、見守り空間ともなっています。
住み慣れたコミュニティーから離れることによる震災後の孤独死などに対しての優れた回答のひとつでしょう。プライバシーにはややかける部分もありますが、住宅が平屋であることもあり従来よりはかなりよい住環境の団地だと思います。
地元の建築家は震災直後から、まさに必死で復興に携わってこられ、その成果が少しずつ出てきているように思いました。
続きは次回。