西日本豪雨災害 板倉構法仮設住宅再利用
7月のブログでお知らせした、いわき市の板倉仮設住宅が、西日本豪雨災害の被災地岡山県総社市で再利用されることとなりました。
8月28日の朝日新聞に記事が掲載されました。
板倉構法住宅は、無垢の木造プレファブ建築ですからこのように簡単に移設再利用が出来ます。
被災地の方たちも一安心されているでしょう。
7月のブログでお知らせした、いわき市の板倉仮設住宅が、西日本豪雨災害の被災地岡山県総社市で再利用されることとなりました。
8月28日の朝日新聞に記事が掲載されました。
板倉構法住宅は、無垢の木造プレファブ建築ですからこのように簡単に移設再利用が出来ます。
被災地の方たちも一安心されているでしょう。
2011年福島県いわき市に建設された板倉構法応急仮設住宅が使用期間を終えたのを期に、見学会が7月19日にありました。
現在、日本板倉建築協会では解体後の再利用計画を進めています。7年間使用した内部の状態や、再利用のために先行して始まっている解体工事の様子を協会会員に公開しました。
外壁の無垢の杉板は、7年間風雨に洗われグレーに変色が始まっています。もう少し年月が経つと、無垢板ですから全体が落ち着いた自然のグレー色となり昔の民家の風格が出てきますが、まだ途中の段階です。
しかし、外壁を剥がすとその下の竪木摺りと板倉の厚板壁はまだまだ新品のような色合いです。
外壁を再利用のため丁寧に1枚ずつ剥がしています。表側は、グレー色になっていますが裏側はまったく新品同様です。
屋根の野地板を一枚ずつ剥がすと、断熱材として入れていた萱が現れます。床の無垢の厚板を剥がすと、こちらも断熱材として入れていた籾殻がきれいな状態で出てきます。仮設住宅といっても全て自然素材だけで造っています。無垢板は湿気の吸放出を妨げないので、このようにまったく健全な状態が保たれるのだと思います。
解体材は柱・梁、厚板、外壁、屋根鋼板、樋など再利用できるものは、きちんと梱包されていきます。
解体前の住宅の内部です。無垢の杉板はまったく綺麗で再利用に問題ありません。ロフトも天井高があり大人が立っても余裕があります。
また、部材の放射線測定も行われセシウム137,134合算濃度は基準値以下となっています。
日本板倉建築協会ではこれらの仮設住宅の払い下げ利用希望を受け付けています。板倉構法の特徴のひとつに、解体移築再利用が簡単なことがあります。住宅建設を検討中の方は、是非、板倉住宅の再利用をご検討ください。払い下げ希望の方はご連絡ください。
武石の家 6月23日(土)24日(日)10:00~16:00 完成見学会
武石の家が完成します。ロフトがある平屋の板倉の家です。
薪ストーブのある板張りの土間とそれに対面するキッチン。おおきな軒の出とその下のゆったりした濡れ縁、ロフトに上る現代の箱階段等が見所です。
土間と縁側は、日本民家の大きな特徴です。現代でも地方の暮らしには、これらを活かして行きたいと思っています。
土間や縁側のような空間は、一見無駄なようですが、生活にゆとりを与え心豊かな暮らしを演出してくれます。家の周りの自然との心地よい接点としても機能します。
見学ご希望の方は、「しみず建築工房」にご連絡ください。詳しい場所などお知らせいたします。この機会に是非、板倉の家を体験してください。
工事中の板土間の家の上棟の様子です。板倉構法の特徴が最もよく分かります。
コンクリートベタ基礎にヒノキの土台が据付けられました。
柱を立て、壁の厚板を柱の間に落していきます。
柱の溝に沿って壁の厚板を落していく。これが落とし板倉構法です。
壁の厚板は厚さ1寸(3cm)の無垢板。本実という凹凸の加工がしてあり、並べたとき隙間ができないように、また丈夫に組まれるようになっています。材質はカラマツ、人口乾燥により脂も抜いています。
壁板が落し終えたら、その上に梁を載せていきます。
他の梁も皆で力を合わせ、どんどん組上げていきます。家の中心の大黒柱が良く分かります。
他の壁もどんどん厚板を落していきます。合板もボードも使わない板倉構法。自然素材の厚板のみの気持ちのよい、健康的な骨組みです。
ロフト部分の梁が組まれ、壁も出来てきました。
大黒柱を中心にきれいなカラマツの骨組み。
垂木が取り付けられました。垂木も4寸角(12cm)。屋根板(野地板)には壁と同じ厚板を使います。太い垂木と厚い野地板で、丈夫な屋根面を構成します。
野地板が葺かれると清々しい無垢の木の家が出来上がります。
工業製品をまったく使わず、無垢の木だけで造る骨組み。清々しく気持ちよい板倉構法の家です。
信州の情報誌 「KURA」の3月号に、「片丘の家」が掲載されました。連載記事『建築家とつくる!信州快適生活の家』にO邸として紹介されています。家族がテラスに集う微笑ましい写真と共に、お施主さんの言葉や、板倉構法の解説など分かりやすい記事が載っています。
先月取材を受けたもので、元気な子供たちも協力してくれました。子供たちが思う存分飛んだり跳ねたりしても、それをしっかり受け止めてくれる、無垢の厚板。壁や床の多少のキズは、子供たちの良い思い出。気兼ねなく、のびのびすくすくと子供が育つ板倉の家です。
是非、「KURA]3月号をご覧ください。
板土間の家の刻みが進んでいます。刻みとは、柱や梁などの部材の仕口や継ぎ手と呼ばれるジョイント部分などを加工すること。他にも板倉構法の柱の溝や建具の溝の加工など、木造の家を組上げるための部材の加工全般を言います。
工務店の工場で、大工さんが一本一本加工していきます。今回はプレカットという機械加工を併用しています。
機械では加工が難しい部分などは、大工さんの手刻みで仕上げていきます。板倉の家は「表し」の構造なので、ほとんどの部材が仕上げ材となり、ボードなどで隠れる部分はありません。そのため、加工するときに部材に傷をつけないように慎重に扱います。
板倉の家の壁となる落し板(厚板)も準備されています。全ての板に、本実(ほんざね)といわれる凹凸があり、壁面や床・屋根面を張ったときに隙間無く一体となるように加工されています。
まもなく、全ての部材の加工が終わり、いよいよ棟上が始まります。
2018年が始まりました。穏やかなよい1年であってほしいと願います。
日本ではオリンピックに向けて経済も気持ちも明るくなっているようですが、国際情勢は先行き不透明で東アジア、中東、欧州、米国とどこも火種をかかえ、いつ日本に降りかかって来るのかまったく分かりません。ネットや交通網の発達で世界は密接に繋がっているのですから自国優先ではなく、地球規模や人類単位で物事を考えたいものです。
さて、ぐっと身近な話題ですが、板土間のある家の基礎が昨年末に出来上がりました。今年はいよいよ棟上、そして完成に向けて工事が本格化します。現在は、材木の加工を始めたところ。来月の上棟を目指しています。ラニーニャ現象からか日本海側は、大雪になっているところが多いので天候をにらみながらの作業となります。
2017
2017年もアッと言う間に終わってしまいそうです。追加できなかった記事をまとめて書いておきます。
これは東北被災地ツアーの続き。津波で全て流された宮城県女川駅前の復興の様子。駅から港へまっすぐな軸線にそって新しい商業施設が整備されていました。小奇麗な街並みになっていて雨に濡れた街の表情もよいのですが、洒落た建物が美しくライトアップされていて、どうも東京郊外の駅前に来たような印象を受けます。はるばる東北の港町に来たというような、地域性を感じさせるものは何も無い。地元の方々は喜んでいるのだろうか?日本全国が東京の郊外化していく現象の一つかもしれません。短い復興期間でまずは街の中心施設を整備しなければならないのですから、難しいものがありますが。
次は、諏訪の鉄平石の採掘現場の様子。鉄平石は長野県でも採れる建築によく使う石材です。原石から薄く剥がれるので、昔は屋根に葺いたり、壁に貼ったりしていましたが、現在は床用がほとんどでしょう。なかなかよい表情になるので一度は使ってみたい素材です。
鉄平石採掘現場
切り出す前の岩盤の様子
鉄平石の床(「ますみ」でおなじみ諏訪の宮坂醸造)
私の所属する、JIA日本建築家協会長野県クラブ の仲間と、東北の震災被災地の復興建築をJIA宮城地域会の案内で見学してきました。震災後6年が過ぎ、復興公営住宅やまちづくりもかなり進み津波の爪あとも消えつつあります。しかし、この何も無い広大な原野は街が消えた跡だと聞かされると、なんとも重い心持ちになります。
上記の写真は、仙台湾南部海岸に新しくできた防潮堤。名取市、岩沼市、仙台空港を含め一面津波に飲み込まれた地域です。町並みも、田圃も、松林も無くなり一面の荒野でした。震災前は美しい海岸林と昔からの集落があったそうですが、今はまったくの荒野。遠くに被災を免れた松林が見えます。
この防潮堤は、中クラスの津波や高潮は防御するが大津波は完全に防ぐことはできないので、粘り強く耐えて破壊されない構造としてそのエネルギーを減少させる、減災を目指したものです。ですから高さも海面から7メートルぐらいでそれほど高くはないのですが、内陸からは海の姿はまったく見えず、海と陸が分断されています。やむをえないものでしょうが、海岸線をまったく感じられないのもいかがなものか?難しいものがあります。
科学文明の力によって周りの自然環境と隔絶し、現代の生活環境を護ろうとするのは、宇宙船のようにカプセル化してゆく現代住宅と似たところがあります。これが正しい方向なのかどうか?
次の写真は、岩沼市の災害復興公営住宅。
戸建ての住宅団地です。一般の単純に区画割された住宅団地とは違い、住戸間に「緑道」とよばっれるスロープ付きのバリアフリー動線を設けています。ここから住戸のテラスにフラットにアクセスでき、見守り空間ともなっています。
住み慣れたコミュニティーから離れることによる震災後の孤独死などに対しての優れた回答のひとつでしょう。プライバシーにはややかける部分もありますが、住宅が平屋であることもあり従来よりはかなりよい住環境の団地だと思います。
地元の建築家は震災直後から、まさに必死で復興に携わってこられ、その成果が少しずつ出てきているように思いました。
続きは次回。
板土間のある家
最近は、現代の住宅に昔の民家の土間を復活させたものが見られるようになりました。玄関の延長として、応接間や工作室、第2の居間としてなどさまざまな使い方ができる空間で、住宅にゆとりをもたらすよいものだと思っています。
土間の材料は、昔ながらの三和土(タタキ)を使うことは少なく、土間コンクリートにタイル貼りや籾殻や土など混ぜたモルタルなど、いろいろな材料があるようです。私も、テラコッタやレンガの土間を何軒か造ってきました。
板倉の家では、落し板として無垢の厚板を沢山使うので、それを床に使った「板土間」もよいものです。厚板を重ねて使い重量感のある床材とします。竣工したては、きれいな無垢材の床なので土足で入るのは躊躇しますが、かまわず土足で使っているとなんともいえない風合いになってきます。
そういえば、昔の電車の床は、油の浸み込んだ無垢の厚い板でした。適度にやわらかく温かみのある「板土間」の家を設計しています。